宗教が苦手だった私
/本来、『宗教などは弱いものがするもの』だとは、よく聞く話である。20歳ぐらいの時に、親元を離れ暮らしていたのですが、信仰もせず、仕事と家の往復と買い物や温泉にもたまに行って、何も不自由なく暮らせていたので、宗教の必要性を感じてませんでした。ある時、創価学会の友人が訪ねてきました。彼女は信仰せず遊んでる私を泣きながら説得してくださり、ようやく重い腰をあげて、一緒に会合に行くようになりました。それまで、自分の身に悲しいこともなかったので、誘われたら行くような感じでした。しかし活動続けていると、信仰していない友人に、あなたが創価学会員であることは、職場などで話さないほうが良いとアドバイスしてくれる優しい方がいました。その人は、それを言うことで、あなたがいじめられたりしないかと心配してくれたのです。あなたが信仰するのは自由だが、仲間外れにされて悲しい思いをしないようにと言ってくれるのでした。
日蓮正宗との出会い
1965年7月3日ごろ、私は福子(ふくし)として、福子とは、日蓮正宗創価学会の子供として生まれてきた者に名付けられる言葉です。もうかれこれ、58年間ですが、日蓮正宗で生きられることを喜びとして、頑張っているのです。現在は毎日1時間から2時間の題目を唱える毎日ですが、これは、謗法厳戒を守る私にとって必要な日課です。前向きな人生を生きれますし、悩みが多い方に特におすすめなのです。私は子供の時に、何故私の家は、日蓮正宗創価学会であるのか、疑問に思いました。小学校の時に歴史の人物で日蓮大聖人様のお話もでてきて、嬉しかったのですが、私はよく両親に他の宗教を信仰してはいけない理由を何度も聞かされて育ちました。それには、ちゃんとした理由もありますが、今回は割愛しますが、何も不自由なく育てられ、貧しくも元気だけが取り柄でした。特に悩みがあるとしたら、欲しいものが買ってもらえなかったことでしょう。できれば、何もせず幸せになるのが希望ですが、なんの努力もしない人に神様は願いを叶えるはずもなく、偶然に幸せになれたとしても、永久に続く幸せではないかもしれません。
創価学会での矛盾
/創価学会で白百合長になった時には、活動や指導に矛盾が出て来ました。しかも、ご本尊様を日寛上人のご本尊様へ変えてから、どんなに祈っても、何故かすっきりせず、悪夢を見る日まであって、心も疲れてました。この悪夢に関しては、本当に気持ち悪い夢です。しかも、会合には絶対出席しなければならず、人の見本にならなくてはと使命に燃えていたのですが、聖教新聞を2部取るのは、ちょっと抵抗ありました。皆さん同じように、池田先生を喜ばせるためにと婦人部の幹部の方も仰せでしたが、2部取る意味を感じません。一部は自分用、もう一部は友人に渡す用でしたが、大切な部分をコピーして渡せば済みますので、一部で良いと今でも思います。今はネットで読めるので、取らない人も居るのではと思います。
/ここまで読んでくださりありがとうございます。今後も時間を見つけ、書いていきます。
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