信仰と共に生きるのは何故?
毎日、いろんな状況で、ふと寂しくなる事がある。人間は誰でも、自分の意見も持っているし、自分の主張が正しいなら、それを伝えたい生き物です。それなのに、正しい言論を阻む人が居るのです。この人はまったく仕事をしません。しかも噂好きで、人の悪口が大好きです。こんな人と一緒に働いてると、一人だけ仕事せず、おしゃべりできる相手を見つけては、おしゃべりに時間を割いて、おしゃべりで一日が終わる人です。私は、パートという立場上、何も言えませんが、社員であった元店長(現在パート)も社員のリーダー格の人でさえも、その人に何も言いません。とってもおかしな会社です。そして、周りも暗いのは、たぶんこの人のせいです。一時的にリーダーも務めてたらしいですが、まったく尊敬できない人です。こんなにも、尊敬できない存在と一緒に働くのが嫌でたまらない私は、周りの人の我慢でやってきた会社にしか見えず、ほかの方も自分の正しい意見も言えず、本音で話せない会社と言ってました。だけど、働かないといけない私は、我慢して働いていますが、毎日ご本尊様に2時間の唱題をする日々です。どんな状況でも、冷静に自分に正直に生きると決めている私なので、日蓮正宗の信仰は本当に有難く思っております。そして、副業が成功したら、今の古い体質の会社から離れたいと思っております。
十四誹謗(じゅうしひぼう)
日蓮正宗の法華経において、信仰している人への**誹謗(ひぼう)**は重要な概念です。この語は、法華経の心に背く具体的な姿として、十四箇の謗法が示されています1. これらの謗法は、正法を護持し広める人を誹謗することや、正法を信じていても、それを爾前経より劣るものと位置づけて受容することも含まれます。釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くことが、謗法とされています2.
具体的な十四箇の謗法については、以下のようになります:
- 憍慢(きょうまん): 横柄な態度で正しい仏法を軽く見て莫迦にすること。
- 懈怠(けだい): 仏道修行である勤行や折伏、登山、会合などを怠けること。
- 計我(けが): 自分の勝手な考えで仏法のことを解釈すること。
- 浅識(せんしき): 自分の浅薄な知識で仏法のことを解釈すること。
- 著欲(じゃくよく): 欲に執着して正しい仏道修行ができないこと。
- 不解(ふげ): 正法の道理を理解できないこと。
- 不信(ふしん): 仏法を信じないこと。
- 顰蹙(ひんじゅく): 正法の話を聞いて、あるいは正法を信心している人を見て、顔をしかめて嫌がること。
- 疑惑(ぎわく): 正法の教えや実践に対して、自分自身の考えの上から疑惑を生じること。
- 誹謗(ひぼう): 正法の教えや、正法を信心している人に対し、悪口を言って罵ること。
- 軽善(きょうぜん): 善を軽んじること。正法を軽く扱う、信心している人を馬鹿にすることなどが含まれます。
- 憎善(ぞうぜん): 善を憎むこと。正法を憎んだり、信心している人を憎むことが該当します。
- 嫉善(しつぜん): 善を嫉むこと。正法の繁栄をねたんだり、信心している人が幸せになることをねたむことが含まれます。
- 恨善(こんぜん): 善を恨むこと。自分達が正法に背き、それで破門になったからといって、破門した日蓮正宗を逆恨みしている人達が該当します。
これらの謗法は、日蓮正宗の御本尊が最高真実の正法であると位置づけているため、これに背くことは重大な問題です。
本日も読んでくださり、ありがとうございます。
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