生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

ブログ

🌸「違和感を見過ごさなかった私の体験と、日蓮正宗に戻るまでの道のり」

○○学会に所属していた頃、私は「おかしい」と感じても、
“平和を掲げる団体なのだから、間違うはずがない”と自分に言い聞かせていました。
しかし、積み重なる違和感は、やがて無視できないほど大きくなっていきました。
今日は、その時の私の正直な体験をお話しします。

🌸本文(体験談)

○○学会にいた頃、私は○○新聞の紙面で、たびたび日蓮正宗への否定的な記事を目にしていました。
最初は深く考えず読み流していましたが、ある時ふと疑問が湧き、婦人部の方に質問してみました。

すると、その方も「この内容は不快だ」と言われたのです。

生前の父も、「宗教者としてどうなんだ?」と眉をひそめていました。
友人に○○新聞を勧めた際にも、“この部分は受け入れられない”と言われたことを、今でも覚えています。


そのほかにも、不可解なことが次々とありました。

たとえば、
「○○新聞を一人で2通取ってほしい」
と言われたとき。

理由は、
「自分用と友達用に」
とのことで、私は思わず首をかしげました。

さらに幹部の人からは、
「家族が5人なら5人分とるべき」
と真顔で言われた時には、「むちゃぶりにもほどがある」と感じました。

また婦人部の中には、
「ある人物に喜んでもらうために!」
と真剣に訴える方もいました。

今思えば、これはもう“思考のコントロール”に近いものだったのではと感じます。
家族で新聞は1部で十分なのに、なぜ複数を強要するのか。
その矛盾に、心のどこかが毎回ざわついていました。


さらに、心に引っかかったのが、
特定の人物を否定する目的の唱題会 の存在でした。

私は宗教者として
「人を否定する祈りって、本当に正しいの?」
という疑問が頭から離れませんでした。

結局、私はその唱題会には参加せず、ほかの会合ばかり出ていました。
それほどまでに、心が受け付けなかったのです。


これだけ多くの「おかしい」が積み重なっていたのに、
それでも私は “間違いであるはずがない” と信じたかったのだと思います。
平和を掲げる団体に、疑いを持ちたくなかったのです。

しかし、心の声はごまかせませんでした。


🌸日蓮正宗に戻れて、本当に良かった

今、私は日蓮正宗に戻ることができて、本当に心からホッとしています。
本物の信仰には確かな功徳があり、
自分自身の挑戦を通して、確実に幸せへと向かっていける実感があります。

そして、今もなお違和感を抱えながら気づいていない方に、
私はどうか“本当の信仰の光”に触れてほしいと願っています。

本物の信仰は、人を縛るのではなく、心を自由にし幸せに導くもの。
私はその真実をこれからも伝えていきたいと思っています。


🌸締めの言葉

もしあなたが、かつての私と同じように小さな違和感を抱えているなら、
その声を大切にしてください。
真実の信心は、あなたの人生を必ず良い方向へ導いてくれます。

注意事項・こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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