生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

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日蓮大聖人は、御書の中で末法において正法が失われた結果、神社仏閣が本来の仏神の住処ではなくなり、悪鬼魔神の住処となるという趣旨を、繰り返し明らかにされています。

1. 根本原理:正法があってこそ諸天善神は住する

日蓮大聖人は一貫して、

正法ある国には諸天善神集まり、正法なき国には悪鬼魔神充満する

という仏法の原理を説かれています。

仏神は法に依って住する存在であり、人間が正法を捨てれば、仏神もその場を去る、という考え方です。


2. 神社仏閣が「悪鬼魔神の住処」となる理由

御書では、次のような論理構造が示されています。

  1. 釈尊滅後、正法・像法を経て末法に入る
  2. 末法では正法(南無妙法蓮華経)が誹謗される
  3. 誹謗の地からは諸天善神が去る
  4. 空いた場所に悪鬼魔神が入り込む
  5. 形式だけ残った神社仏閣は、むしろ人々を迷わせる存在となる

この文脈で、念仏・真言・禅などの邪法が盛んな寺社について、「魔の住処」と厳しく断じられています。


3. 代表的な御書の趣旨(要点)

『立正安国論』

  • 念仏等の邪法が国に満ちれば、
    善神は国を捨て、悪鬼が国に入る
  • 災難・疫病・戦乱の根本原因は、信仰の誤りにある

『開目抄』

  • 仏法が正しく行われない時代には、
    魔が仏や菩薩の姿を借りて人を惑わす
  • 仏教施設であっても、内容が邪であれば魔の働きの場となる

『神国王御書』

  • 日本の神々は法華経を守護する誓願を立てた存在であり、
    法華経を捨てれば神はその国を去る

4. 「神社仏閣=すべて悪」とは言っていない点

重要なのは、日蓮大聖人は
建物そのものを問題にしているのではない、という点です。

問題にされているのは、

  • 何を本尊としているか
  • どの法を弘めているか
  • 人々を成仏へ導いているか、迷わせているか

という信仰の中身です。

その中身が邪であれば、
外形が荘厳であっても「魔の所行」と厳しく指摘されます。


5. 結論(大聖人の立場)

日蓮大聖人の結論は明確です。

  • 末法において拠るべき正法は
    南無妙法蓮華経
  • 正法を離れた宗教施設は、
    人を救うどころか、かえって迷わせる危険がある
  • それゆえ、神社仏閣であっても、
    信仰対象として依止すべきではない

Ⅰ.前提となる大原則(仏法の基本構造)

1.仏神は「法」に依って住する存在

日蓮大聖人の立場では、

  • 仏・菩薩・諸天善神は
    正法が行われるところに住し、守護する
  • 正法が失われれば、
    仏神は去り、魔が入る

という因果関係が厳然としています。

これは場所や建物の問題ではなく、
**「そこに何の法が立てられているか」**が根本です。


Ⅱ.末法という時代認識

1.末法の特徴

末法とは、

  • 仏法が形式化し
  • 人々が成仏の直道を失い
  • 邪法・方便が正法を圧倒する時代

であると定義されます。

2.末法の正法

日蓮大聖人は明確に、

末法において成仏の法は
南無妙法蓮華経のみ

と断定されています。


Ⅲ.なぜ神社仏閣が問題となるのか

1.構造的な流れ(整理)

段階内容
正法(法華経)が捨てられる
念仏・真言・禅などが正法として広まる
誹謗の国となる
諸天善神がその地を去る
悪鬼魔神が入り込み、人心を惑わす

この⑤の状態を指して、
「神社仏閣が悪鬼魔神の住処となる」
と表現されています。


Ⅳ.主要御書における位置づけ

1.『立正安国論』

  • 国土の災難の根本原因を
    信仰の誤りと断定
  • 念仏等の邪法が広まれば
    善神は国を捨て、魔が国に入る

👉 神社仏閣も、邪法を弘める場となれば例外ではない。


2.『開目抄』

  • 魔は仏・菩薩・僧の姿を借りて現れる
  • 見た目が仏教的であるほど、
    かえって迷いが深くなる

👉 仏像・堂宇の荘厳さは、
正法の証明にはならない。


3.『神国王御書』

  • 日本の神々は法華経守護の誓願を持つ
  • しかし、法華経が捨てられれば
    神はその地を去る

👉 神社であっても、
法華経を根本としなければ「空殿」となる。


Ⅴ.重要な誤解の整理

誤解①「神社仏閣=すべて悪」

誤り

  • 建物や文化を否定しているのではない
  • 問題は信仰対象と教義内容

誤解②「神や仏を否定している」

否定していない

  • 仏神は法華経を守護する存在
  • ただし、法に背けば守護はしない

Ⅵ.日蓮大聖人の結論(整理)

日蓮大聖人の立場は、以下に集約されます。

  1. 末法の成仏法は南無妙法蓮華経のみ
  2. 正法を捨てた宗教施設は、人を救えない
  3. その結果、神社仏閣であっても
    魔が作用する場となり得る
  4. ゆえに、信仰の拠り所とすべきではない

Ⅶ.現代への示唆(要点)

  • 見た目・伝統・権威で判断しない
  • 「何を本尊とし、何の法を立てているか」を見極める
  • 情緒的信仰より、法理に基づく信仰を選ぶ

🌸私の信仰生活について

最近、日蓮正宗のブログを公開するたびに、色んな変化を感じながら、生きています。人は、皆、誰だって幸せになりたいはずです。悩みもできれば、無くしたいです。でも、この法を保っていても、日蓮大聖人様は、折伏精神の大切さも教えて下さっているのです。誰かに、幸せになってほしいのも、確かです。ただ、お話をするのは、勇気もいるし、難しいと思います。私が思う信仰生活に関しては、自分らしさを失わないってことが、大事って思っています。折伏される人にも、自分らしさは、持っていてほしいのです。他人の意見で生きているのかな?と思う人、最近増えていませんか?自分の人生は自分で決めていいのです。その中で、この法に出会えているなら、最高ですね。本日も、読んで下さり、ありがとうございました。

注意事項・こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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