今日は、2回目の投稿です。私は、毎日の朝夕の勤行を日々欠かさず行っています。唱題の時間は、大体ですが、多い日は2時間、短い日で1時間の唱題をします。疲れているときは、朝の唱題多めで、夜は少なめですね。ですが、皆さん、悩みがある日は自然と沢山の唱題ができるものです。唱題することで、日々の活動も、すんなりと行くという感じがします。ただ、祈っているときに思うのは、ご本尊様への感謝の気持ちと、すがるように祈る!という気持ちも大切だと、思っております。すがるように祈っていくことは、恥ずかしい事ではありません。誰にも言わなけれ良いのです。自分の中で、どれだけご本尊様を必要とし、どれだけご本尊様を慕っていくのか、そして、絶対に悩みを解決したいのなら、ご本尊様に自分の悩みを任せて、自分で行うのは、必死の唱題と仏法を誰でも良いので話す事で、自然と解決の道ができていくのです。これは、本当に不思議なのですが、折伏って相手を救う行為ですので、祈って折伏することで、自分が思っている以上に良い結果に変わっていくのです。ただ、人に話すの苦手な人も居ますよね。その方は、手紙やメールでも良いと思います。
ところで、長い人生の上では、絶対に理解しあえない人に出くわす事ってないですか?もちろん、親・兄弟・姉妹・親戚・友達・会社の同僚や先輩などの中にです。どれだけ祈っても、考え方の違いって、育った環境もありますので、接するときに違う反応が返ってきたり、悪く言ったつもりはないのに、悪く受け取られたり、こちらが思っている以上に手強い相手に出会ってしまい、心が疲弊しちゃうような人っているんですよね。でも、私の場合、そんな時には、お題目をいつもより多めに祈るようにしています。そして、理解できない人を、無理に理解しようとはせず、少し距離を取って付き合うようにしています。そんな考え方もあるのね、と思いながら、相手の背景を考えて、何故、この人は人の悪口が多いのだろう?とか、何故いつも怒っているのだろう?とか、あげればきりがないほどに、いろんなことがありますね。でも、私には、日蓮正宗のご本尊様があるのだから、悪く言われても、絶対に自分からは、人の悪口だけは言わないと決めているのです。悪口言われたり迫害を受けるのは、自分の罪障を消していく行為だから、今罪障が絞り出されている途中なのだと思うようにしています。
今、皆さんも、辛い事に出くわしたり、悲しい事に出くわしたり、解決できない悩みに打ちひしがれても、絶対にあきらめないでください。まずは、日蓮正宗の信仰に出会ってください。日蓮正宗の信仰に少しでも興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院のご住職にアポをとってください。人生が、明日からすぐに幸せになれるとかではないです。あなたの悩んでることは、あなたのやる気があれば、必ずや解決していけますよ。本日も、読んでくださり、ありがとうございました。
注意事項:こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではありません。

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