生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

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なぜ魔は「一念の乱れ」から入るのか

― 日蓮正宗の教えに基づく、やさしい解説 ―

私たちが信仰の中でよく耳にする「魔」という言葉。
それは決して、どこか外の世界にだけ存在する不思議なものではありません。
日蓮大聖人様の御教えに照らして見ると、魔は常に「一念」――つまり私たちの心の在り方を通して働く存在であることが分かります。

一念とは何か

「一念」とは、瞬間瞬間の心の向き、思い、決意のことです。
強い一念があれば、現実は必ず動きます。
反対に、一念が揺らぎ、迷い、弱気になると、その心に応じた現象が起こります。

これは仏法の根本原理である一念三千に基づく考え方です。
心と現実は切り離されたものではなく、常に呼応しているのです。

魔は「外から突然来る」のではない

多くの人が、「魔にやられた」「邪魔が入った」と感じるとき、
それは何か強い外的存在が無理やり妨害してきたように思えるかもしれません。

しかし仏法的に見ると、
魔は一念が乱れた“隙”に応じて現れる働きです。

たとえば――
・やる気があったのに、急に眠くなる
・大事な決意をした直後に、不安や面倒くささが出てくる
・信仰や折伏に向かおうとすると、理由のない迷いが生じる

これらはすべて、「正しい方向に進もうとする一念」が起こったときに、
それを止めようとして働く魔の典型的な現れだと説かれています。

なぜ“一念の乱れ”が入口になるのか

魔は、強い一念には入り込めません。
確信と覚悟に満ちた心には、付け入る余地がないからです。

だからこそ魔は、
・疲れ
・慢心
・油断
・自己否定
・「今日はいいか」という小さな妥協

こうした一瞬の心の緩みを入口にします。

日蓮大聖人様は、修行が進み、正法を弘めようとするときほど、
魔が競い起こると仰せになっています。
これは、間違った道に進んでいるからではなく、
正しい道を歩んでいる証なのです。

魔に気づけること自体が前進

大切なのは、「魔が出た」と落ち込むことではありません。
むしろ、

「今、自分は大事な一歩を踏み出そうとしている」
「だからこそ、心が揺さぶられている」

と気づけること自体が、信仰の深化です。

魔に気づき、
唱題に戻り、
原点に立ち返り、
また一歩進む。

この積み重ねこそが、信心であり、広宣流布の実践です。

まとめ

  • 魔は外から突然襲うものではない
  • 一念の乱れに応じて現れる働きである
  • 正しい信仰・実践に向かうときほど魔は起こる
  • 気づいて立て直すことが、最も大切な修行

一念を整え、題目に立ち返るところに、
必ず仏の働きが現れます。

焦らず、比べず、今日の一念を大切に。
それが、確かな前進です。

注意事項・こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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