生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

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本日も、宜しくお願いします。

私の日々のルーティンは、朝夕の勤行と唱題が根本になっています。日々多く悩んでしまうので、唱題は心が落ち着くまで、祈りなさいと言う、亡き父の言葉もありますが、これがあるのと、ないのでは、しっかり生きているって実感さえも沸かなくなるぐらい、違うんですね。やっぱり、生きているからこそ、罪業の深い人との関りで気分が沈むことも、勿論あります。魔が邪魔してくるんですよね。罪業深い人って、関わるときに、いやな気分になることを言ってきたり、悪口や噂話が好きな人なので、すぐにわかりますね。こういう人間を避けて生きていきたいですが、やっぱり職場で出会うとか、仕事上、関わることがあると、本当に疲れます。私の場合、悪口だけは言わないって決めてるので、発散するのは、決まってご本尊様に祈ることが多いですね。それでも、魔が強い時は、体調面が悪くなって、居心地も悪くなるので、悪意のある同僚とか、噂好きの人は、避けていきたいですね。人間は、無理は禁物で、体調面が悪く、気分も悪いときは、休んでも良いんです。勤行と唱題を頑張って寝ていただければ、案外すっきりしたりします。

今日は、雨が午後から降りました。雨の日は、眠ってくださいって合図なのかな?と思うほどに眠いです。本日は、パートも休みです。折伏月間に入っているんですが、折伏のために、歩けてない状況ですが、何とか折伏をしていきたいです。今日は少し、お話をするなら、謗法厳戒について、少し学んでもらえると嬉しいので、説明していきます。皆さんに幸せな人生を歩んでもらいたいと切に願っておりますので、宜しくお願い致します。

謗法厳戒とは

謗法を厳しく戒(いまし)め、絶対に近づかず、混ぜ合わせず、容認もしないこと。
これを「謗法厳戒」といいます。

日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、

「よくよく・きびしく・法華経を持ち給へ、少しも謗法をまじへ給うべからず」

と仰せになり、謗法を一分も混ぜない信心が肝心であると教えておられます。


なぜ謗法厳戒が必要か

  1. 清浄な信心を守るため
     正しい御本尊を根本にお題目を唱える信心は、それ自体が最高の功徳を生みます。
     しかし謗法を混ぜてしまうと、水に毒を入れるように、その力が失われます。
  2. 自他の成仏を妨げないため
     自分が謗法に触れると功徳を失うだけでなく、周囲の人も迷わせてしまいます。
     折伏の立場からも、謗法を容認しない姿勢は欠かせません。
  3. 大聖人の御意志に背かないため
     大聖人は末法万年にわたり、正しい法華経の信仰を弘めるためにご出世されました。
     その御心に背くことが謗法であり、それを避け抜くことが御心に応える道です。

謗法厳戒の具体例(現代生活において)

  • 神社でのお参り、他宗派の法要への参加
  • 他宗の仏壇や位牌をそのまま祀る
  • 宗教混在(神棚と御本尊を一緒に祀る など)
  • 占いや霊感商法に頼る
  • 「どの宗教もいいんじゃない?」と容認する態度

これらは一見「悪くないこと」に見えても、信心を濁らせる大きな原因になります。
だからこそ、日蓮正宗では「謗法厳戒」を徹底し、清らかな信仰を守ることを教えています。


結び

「謗法厳戒」は堅苦しい規制ではなく、自分自身と周りの人の幸福を守る慈悲の実践です。
御本尊様を信じ、お題目を唱え、謗法を遠ざけることが、そのまま功徳を積む道となります。
そして、謗法に迷う人を折伏によって導くことが、大聖人の御心にかなう最高の慈悲行なのです。

本日も読んでくださり、ありがとうございました。

注意事項:こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承願います。

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