生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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四つの罰について

日蓮正宗の教義において、「罰」についての考え方があります。因果の法則に基づいて、人々の行いに応じて「罰」が現れるとされています。具体的には、以下の四つの「罰」があります1

  1. 総罰: すべての人々に共通する罰であり、世界的な出来事や災害などがこれに該当します。
  2. 別罰: 個々の人々に対する罰であり、個人の行いに応じて現れます。
  3. 顕罰: 目に見える形で現れる罰であり、具体的な出来事や病気などがこれに該当します。
  4. 冥罰: 目に見えない形で現れる罰であり、心の中で感じる苦しみや悩みがこれに該当します。

「罰」は警告の意味も含んでおり、適切な行いをすることで未然に防ぐことができます。日蓮大聖人も「罰」について言及しており、正しい信心を持ち、行いを改めることで「罰」を消滅させることができると説いています1

「罰」についての理解は、正しい仏法を学ぶことで深まります。2 また、私たちが日常的に行う行動や思考が、因果の法則に影響を与えることを意識することも大切です。3

「罰」を受けることなく、幸福な人生を歩むためには、正しい信心と行いを大切にしましょう。4 そして、自分自身の心の持ち方に注意を払い、善行を積むことが大切です。5

四箇の格言

「四箇の格言」とは、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」を言います。日蓮大聖人様が、その当時大きな勢力を持っていた四つの邪宗教を、簡潔に破折された言葉です。
 最初の「念仏無間」とは、阿弥陀如来を信じ、念仏を唱えることは無間地獄に堕ちる原因となるということです。無間地獄とは、絶え間ない罰を受ける地獄です。
 念仏宗では私たちと縁のない西方極楽浄土の阿弥陀仏を信じ、ただひたすら阿弥陀如来の名前だけを唱える修行(称名念仏)を行います。
 また、念仏宗の開祖・法然は、仏様の出世の本懐(仏が世に出現した真の目的)である法華経を、「捨てよ・閉じよ・閣け・抛て」と批判していました。これらは仏様の教えである法華経に背く謗法ですから、無間地獄に堕ちることは疑いありません。
 次の「禅天魔」とは、禅宗で行われていることは第六天の魔王の行いである、という意味です。第六天の魔王は別名・他化自在天とも言って、仏道修行を妨げる魔の王です。
 禅宗では、仏様の悟りは心から心へ伝わるのだから、経典などの文字の中にはない(教外別伝・不立文字)と主張します。
 その上で、坐禅を通して自己の心を見つめれば、自分自身の中に悟りが開かれると説きます。しかし、これらは仏様の教えを否定するもので、天魔の所業です。
 「真言亡国」とは、真言宗は国を滅ぼす根源となることを言います。
 真言宗は、法華経を経典の中で三番目に位置する無益な教えとおとしめ、さらに大日如来という、私たちの住む世界(娑婆世界)には実在しない架空の仏を本尊に立てて、釈尊・法華経の教えを倒そうとします。国の柱である正しい教えを倒すのですから、まさに国を滅ぼす教えというわけです。
 「律国賊」とは、律宗の教えは国に害を与える邪な教えという意味です。律宗では、小乗教の、とても守り切れもしない二百五十もある細かい戒律などを、すべて守って修行するべきだと説きます。
 その律宗(真言律宗)の僧侶だった極楽寺良観などは、幕府の高官・役人に取り入って自らも権力を得て、さも律宗の教えが正しいかのように、また徳があるかのように振る舞いました。小乗の戒律は末法の時代にふさわしい戒律ではありませんし、律宗の僧侶の言葉は国を乱す反逆者の説ですから、「律国賊」と大聖人様は厳しく指摘されました。
 「四箇の格言」に込められた破邪顕正の精神は、四つの宗派に限らず、すべての邪義・邪宗に対して共通して言うことができます。この「四箇の格言」のように、世界中に存在するすべての謗法を打ち破り、日蓮正宗の正しい教えを弘めていくことが、現代の私たちに課せられた尊い使命なのです。

本日も読んでくださり、ありがとうございます。

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