日蓮大聖人は、御書の中で末法において正法が失われた結果、神社仏閣が本来の仏神の住処ではなくなり、悪鬼魔神の住処となるという趣旨を、繰り返し明らかにされています。
1. 根本原理:正法があってこそ諸天善神は住する
日蓮大聖人は一貫して、
正法ある国には諸天善神集まり、正法なき国には悪鬼魔神充満する
という仏法の原理を説かれています。
仏神は法に依って住する存在であり、人間が正法を捨てれば、仏神もその場を去る、という考え方です。
2. 神社仏閣が「悪鬼魔神の住処」となる理由
御書では、次のような論理構造が示されています。
- 釈尊滅後、正法・像法を経て末法に入る
- 末法では正法(南無妙法蓮華経)が誹謗される
- 誹謗の地からは諸天善神が去る
- 空いた場所に悪鬼魔神が入り込む
- 形式だけ残った神社仏閣は、むしろ人々を迷わせる存在となる
この文脈で、念仏・真言・禅などの邪法が盛んな寺社について、「魔の住処」と厳しく断じられています。
3. 代表的な御書の趣旨(要点)
『立正安国論』
- 念仏等の邪法が国に満ちれば、
善神は国を捨て、悪鬼が国に入る - 災難・疫病・戦乱の根本原因は、信仰の誤りにある
『開目抄』
- 仏法が正しく行われない時代には、
魔が仏や菩薩の姿を借りて人を惑わす - 仏教施設であっても、内容が邪であれば魔の働きの場となる
『神国王御書』
- 日本の神々は法華経を守護する誓願を立てた存在であり、
法華経を捨てれば神はその国を去る
4. 「神社仏閣=すべて悪」とは言っていない点
重要なのは、日蓮大聖人は
建物そのものを問題にしているのではない、という点です。
問題にされているのは、
- 何を本尊としているか
- どの法を弘めているか
- 人々を成仏へ導いているか、迷わせているか
という信仰の中身です。
その中身が邪であれば、
外形が荘厳であっても「魔の所行」と厳しく指摘されます。
5. 結論(大聖人の立場)
日蓮大聖人の結論は明確です。
- 末法において拠るべき正法は
南無妙法蓮華経 - 正法を離れた宗教施設は、
人を救うどころか、かえって迷わせる危険がある - それゆえ、神社仏閣であっても、
信仰対象として依止すべきではない
Ⅰ.前提となる大原則(仏法の基本構造)
1.仏神は「法」に依って住する存在
日蓮大聖人の立場では、
- 仏・菩薩・諸天善神は
正法が行われるところに住し、守護する - 正法が失われれば、
仏神は去り、魔が入る
という因果関係が厳然としています。
これは場所や建物の問題ではなく、
**「そこに何の法が立てられているか」**が根本です。
Ⅱ.末法という時代認識
1.末法の特徴
末法とは、
- 仏法が形式化し
- 人々が成仏の直道を失い
- 邪法・方便が正法を圧倒する時代
であると定義されます。
2.末法の正法
日蓮大聖人は明確に、
末法において成仏の法は
南無妙法蓮華経のみ
と断定されています。
Ⅲ.なぜ神社仏閣が問題となるのか
1.構造的な流れ(整理)
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| ① | 正法(法華経)が捨てられる |
| ② | 念仏・真言・禅などが正法として広まる |
| ③ | 誹謗の国となる |
| ④ | 諸天善神がその地を去る |
| ⑤ | 悪鬼魔神が入り込み、人心を惑わす |
この⑤の状態を指して、
「神社仏閣が悪鬼魔神の住処となる」
と表現されています。
Ⅳ.主要御書における位置づけ
1.『立正安国論』
- 国土の災難の根本原因を
信仰の誤りと断定 - 念仏等の邪法が広まれば
善神は国を捨て、魔が国に入る
👉 神社仏閣も、邪法を弘める場となれば例外ではない。
2.『開目抄』
- 魔は仏・菩薩・僧の姿を借りて現れる
- 見た目が仏教的であるほど、
かえって迷いが深くなる
👉 仏像・堂宇の荘厳さは、
正法の証明にはならない。
3.『神国王御書』
- 日本の神々は法華経守護の誓願を持つ
- しかし、法華経が捨てられれば
神はその地を去る
👉 神社であっても、
法華経を根本としなければ「空殿」となる。
Ⅴ.重要な誤解の整理
誤解①「神社仏閣=すべて悪」
→ 誤り
- 建物や文化を否定しているのではない
- 問題は信仰対象と教義内容
誤解②「神や仏を否定している」
→ 否定していない
- 仏神は法華経を守護する存在
- ただし、法に背けば守護はしない
Ⅵ.日蓮大聖人の結論(整理)
日蓮大聖人の立場は、以下に集約されます。
- 末法の成仏法は南無妙法蓮華経のみ
- 正法を捨てた宗教施設は、人を救えない
- その結果、神社仏閣であっても
魔が作用する場となり得る - ゆえに、信仰の拠り所とすべきではない
Ⅶ.現代への示唆(要点)
- 見た目・伝統・権威で判断しない
- 「何を本尊とし、何の法を立てているか」を見極める
- 情緒的信仰より、法理に基づく信仰を選ぶ
🌸私の信仰生活について
最近、日蓮正宗のブログを公開するたびに、色んな変化を感じながら、生きています。人は、皆、誰だって幸せになりたいはずです。悩みもできれば、無くしたいです。でも、この法を保っていても、日蓮大聖人様は、折伏精神の大切さも教えて下さっているのです。誰かに、幸せになってほしいのも、確かです。ただ、お話をするのは、勇気もいるし、難しいと思います。私が思う信仰生活に関しては、自分らしさを失わないってことが、大事って思っています。折伏される人にも、自分らしさは、持っていてほしいのです。他人の意見で生きているのかな?と思う人、最近増えていませんか?自分の人生は自分で決めていいのです。その中で、この法に出会えているなら、最高ですね。本日も、読んで下さり、ありがとうございました。

注意事項・こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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