🌸正法を知る喜びと、信仰を続ける覚悟
もし私が、日蓮正宗の信仰をまったく知らずに生きていたならば、宗教の話を聞こうとはしなかったかもしれません。
宗教という言葉を聞いただけで距離を置き、話を聞く前に逃げていた可能性もあります。あるいは、世間一般の印象だけで、ほかの宗教のほうがよいと思っていたかもしれません。
そのように考えると、折伏を受ける側が警戒したり、話を聞こうとしなかったりする気持ちも、私には分かるのです。
しかし、日蓮正宗の信仰に縁し、日蓮大聖人様の御教えを知った今、私は、これ以上の信仰はなく、末法の一切衆生を救う、ただ一つの正しい仏法であると確信しています。
先入観を持たず、正しい話をきちんと聞くことができたならば、
「これほど大切な仏法を、なぜもっと早く教えてくれなかったのだろう」
と思う人もいるのではないでしょうか。
その一方で、正法に出会うということは、この信仰を生涯にわたって大切に受持していくことでもあります。
朝夕の勤行・唱題に励み、日蓮大聖人様の仏法を正しく理解するために御書を学び、寺院に参詣し、縁ある人へ折伏を行じていく。
それは、決して楽なことばかりではありません。
折伏をしても、話を聞かずに逃げる人もいます。嫌われることもあれば、厳しい言葉を浴びせられたり、威圧されたりすることもあります。
自分の大切な時間と真心を尽くしても、きちんと話を聞いてくださる方は、決して多くありません。
そのため、正法に縁する一人の人と出会うまでに、長い時間と忍耐が必要になることもあります。
ときには、
「知らなければ、ここまで悩まなくてもよかったのではないか」
「信仰を知らないままのほうが、楽だったのではないか」
と思う人もいるかもしれません。
私は、正法を知る喜びも、信仰を守り続ける厳しさも、その両方の気持ちが分かります。
しかし、信仰の本当の喜びは、ただ教えを知っただけで得られるものではありません。
苦しいときにも御本尊様を信じて唱題し、自行化他の信心に励み、その功徳を自分の生活の上に実証として感じたとき、初めて、
「この信仰に出会えて、本当によかった」
という心からの喜びが生まれるのだと思います。
折伏の中で悪口罵詈や非難に遭うことがあっても、それに負けて相手を憎むのではなく、御本尊様に祈り、相手の幸福を願って正法を弘め続ける。その信心の実践が、自らの罪障消滅と宿業転換につながっていきます。
もちろん、暴言や威圧に耐え続け、自分の心身を危険にさらすことが信心ではありません。身の危険を感じるときには、その場を離れ、適切な距離を置くことも必要です。
大切なのは、難に遭ったこと自体ではなく、それでも信心を見失わず、慈悲と智慧をもって歩み続けることです。
御本尊様は、折伏に立つ人の苦労も、勇気も、相手の幸福を願う真心も、すべてご照覧くださっています。
そして、信力・行力を奮い起こして自行化他の信心に励む人を守護し、罪障消滅と宿業転換へ導き、やがて生活の上に尊い功徳を現してくださるのです。
だからこそ、私は思います。
これほど尊い仏法を知らずに生きることは、本当にもったいないことです。
今は話を聞いてもらえなくても、その人の心に蒔かれた仏法の種が、いつの日か芽を出すかもしれません。
すぐに結果が現れなくても、相手の幸福を祈りながら、正しい仏法を誠実に伝えていく。
それが、この信仰に出会えた私たちにできる、尊い慈悲の実践なのだと思います。

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