生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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第24回

ブログ

冬は必ず春となる ― 悪世末法を生きる㉔

🌸釈尊から日蓮大聖人へ ― 末法に託された一切衆生救済の道

仏教を説かれた方として、世界中で広く知られているお釈迦様。

しかし、お釈迦様がどのような御生涯を送り、何のために法華経を説かれたのか、詳しく知る機会は意外に少ないのではないでしょうか。

そして、なぜ日蓮正宗では、日蓮大聖人様を末法の御本仏と仰ぐのでしょうか。

釈尊と日蓮大聖人様は、時代も国も異なります。

けれども、苦しむ人々を救い、すべての人を成仏へ導こうとする仏法の大きな流れの中で、深く結ばれています。

今回は、釈尊の御生涯と法華経、そして末法に御出現された日蓮大聖人様について、日蓮正宗の教えをもとに学んでみたいと思います。

🌸王子として生まれた釈尊

仏教に伝えられるところによれば、釈尊は古代インドに、釈迦族の王子として誕生されました。

出家前のお名前を、悉達多太子(しったるたたいし)といいます。

何不自由のない生活を送っておられましたが、宮殿の外で、老い、病、死という人間の避けられない苦しみをご覧になりました。

どれほど裕福であっても、どれほど高い地位にあっても、人は老い、病にかかり、やがて死を迎えます。

また、生きている間にも、愛する人との別れ、憎む人との出会い、求めるものが得られない苦しみなどがあります。

釈尊は、

「人は、なぜ苦しむのか」

「生・老・病・死の苦しみを根本から乗り越える道はないのか」

という問いを抱き、王子としての地位や恵まれた生活を捨てて出家されました。

これは、ご自身だけが救われるためではありません。

すべての人を苦しみから救う道を求める、深い慈悲からの御決意だったのです。

🌸苦行を越えて悟りを開く

出家された釈尊は、さまざまな修行者を訪ね、厳しい苦行にも挑まれました。

しかし、身体を極端に苦しめるだけでは、生命の根本的な迷いを解決することはできないと悟られます。

その後、菩提樹の下で深い瞑想に入り、ついに生命と宇宙を貫く真理を悟って、仏となられました。

「仏」とは、単に人間を超えた不思議な存在という意味ではありません。

生命の真実を悟り、深い智慧と慈悲をもって、人々を幸福へ導く方です。

悟りを開かれた釈尊は、そのまま静かな境地に留まるのではなく、人々の中へ入って教えを説き始めました。

苦しんでいる人を放っておけないという御心が、釈尊を長い布教の旅へ向かわせたのです。

🌸五十年間の説法と法華経

日蓮正宗では、釈尊は人々を救うために五十年間にわたって説法され、その最後の八年間に、出世の本懐である法華経を説かれたと教えています。

釈尊は、人々の理解力や境遇がそれぞれ異なることを考慮し、段階に応じてさまざまな教えを説かれました。

それまでの教えは無意味だったのではありません。

人々を真実の教えへ導くための方便であり、準備だったのです。

そして最後に法華経を説き、すべての人に仏となる可能性があることを明かされました。

特別な身分や能力を持つ人だけが救われるのではありません。

女性も、悪人も、苦しみの中にいる人も、正しい仏法によって成仏への道を開くことができる――。

ここに法華経の大きな慈悲があります。

🌸釈尊滅後の正法・像法・末法

釈尊は御入滅後、時代が進むにつれて、人々の生命が濁り、教えを正しく理解して実践することが難しくなることを説かれました。

釈尊滅後の時代は、大きく三つに分けられます。

  • 正法時代――釈尊の教えが正しく実践され、悟りを得る人がいる時代
  • 像法時代――教えと修行の姿は残っていても、悟りを得る力が次第に弱まる時代
  • 末法時代――争いや言い争いが盛んになり、人心が濁り、釈尊の教えでは人々を救うことができなくなる時代

日蓮正宗では、釈尊滅後の最初の千年を正法、その後の千年を像法、それ以後を末法としています。末法には、釈尊の仏法の功力が失われ、新たに一切衆生を救う仏法が必要になると教えられています。

末法とは、ただ世界が滅びるという意味ではありません。

教えが数多く存在していても、何が正しく、何が誤っているのか分からなくなり、人々が欲望や怒り、愚かさに翻弄されやすくなる時代です。

情報があふれ、争いが絶えず、人と人とのつながりが弱くなっている現代にも、重なるものがあるのではないでしょうか。

🌸法華経に予証された末法の弘通

法華経には、釈尊の滅後、特に末法において妙法を弘める使命が説かれています。

法華経の「従地涌出品」には、大地から無数の地涌の菩薩が涌き出し、その上首として上行菩薩が現れます。

釈尊は、末法に妙法を弘めるという重要な使命を、地涌の菩薩に託されました。

また「勧持品」などには、末法に正法を弘める法華経の行者が、悪口を言われ、攻撃され、権力による迫害を受けることまで予証されています。

ここで正確に理解しておきたいことがあります。

法華経の文章の中に、「日蓮」という御名前が直接書かれているわけではありません。

しかし、末法に妙法を弘める方の御出現と、その方が遭う数々の難が予証されていたのです。

🌸末法に御出現された日蓮大聖人様

日蓮大聖人様は、貞応元年、西暦一二二二年二月十六日、安房国、現在の千葉県に御誕生になりました。

幼くして仏道に入り、その後、鎌倉、比叡山をはじめ各地で経典と諸宗の教えを徹底して学ばれました。

「人々を本当に救うことのできる教えは何か」

「釈尊が説かれた仏法の真意はどこにあるのか」

を究められた末に、法華経こそ釈尊一代の最高の教えであり、その肝心が南無妙法蓮華経であることを明らかにされました。

そして建長五年、西暦一二五三年四月二十八日、清澄山において、初めて南無妙法蓮華経と唱え、宗旨建立を宣言されました。

この日から、末法の一切衆生を救うための折伏弘教が始まったのです。日蓮正宗では、この立宗を宗門の始まりとしています。

🌸法華経の予証を身をもって証明された

日蓮大聖人様が南無妙法蓮華経を弘め始めると、予想どおりではなく、法華経に予証されていたとおり、激しい迫害が起こりました。

松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、龍の口の法難、佐渡流罪――。

命を奪われそうになる大難に、何度も遭われました。

それでも大聖人様は、人を恨んで教えを捨てることも、御自身の安全のために正義を曲げることもありませんでした。

なぜなら、目の前で苦しむ人々を救うには、正しい教えを伝えるほかないと確信されていたからです。

法華経には、末法の法華経の行者が、在家や僧侶、権力と結びついた者から迫害を受ける「三類の強敵」が説かれています。

大聖人様は、その予証を一つひとつ御自身の身で読まれました。

これを「身読」といいます。

日蓮正宗では、法華経の予証どおりに妙法を弘め、あらゆる大難を乗り越えられた日蓮大聖人様を、単なる法華経の研究者や殉教者ではなく、末法の一切衆生を救済される御本仏と拝するのです。

🌸「日本の柱・眼目・大船」となる御誓願

日蓮大聖人様は『開目抄』において、

「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」

との大誓願を立てられました。

「柱」とは、人々と国土を支える存在。

「眼目」とは、正邪を見分ける眼となる存在。

「大船」とは、苦しみの海を渡り、人々を成仏の岸へ運ぶ存在です。

これは御自身の名誉や権力を求める宣言ではありません。

たとえ一身にどのような難を受けようとも、すべての人を救うという、深い慈悲と覚悟の御言葉です。

大聖人様の御生涯を学ぶとき、私は、人間がこれほどまで他者の幸福を願い、命を懸けて正しい道を示すことができるのかと、頭が下がる思いがします。

🌸御本尊として顕された救いの法

日蓮大聖人様は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経を、御本尊として顕されました。

末法の私たちは、釈尊と同じように長年の苦行を積まなければ成仏できないのではありません。

御本尊様を信じ、南無妙法蓮華経と唱え、勤行・唱題と折伏に励むことによって、自分自身の生命に具わる仏の境界を開くことができます。

日蓮正宗の公式な説明でも、日蓮大聖人様は法華経の極理を御本尊として顕し、その御本尊に向かって唱題することにより、いかなる人も仏の境界に至ることができると示されています。

貧しい人も、病気の人も、過去に過ちを犯した人も、今まさに絶望の中にいる人も、正法を信じて人生を変えていくことができます。

誰一人として見捨てない――。

そこに、日蓮大聖人様の仏法の大きな慈悲があるのです。

🌸釈尊への感謝を忘れない

日蓮大聖人様を末法の御本仏と仰ぐことは、釈尊を軽んじることではありません。

釈尊が法華経を説き、末法の弘通を予証し、地涌の菩薩にその使命を託されたからこそ、私たちは日蓮大聖人様の御出現の深い意味を知ることができます。

釈尊は、御自身の時代の人々を救いながら、遠い未来の末法に生きる私たちのことまで見据えて、救いの道を準備してくださいました。

そして日蓮大聖人様は、その末法に実際に御出現され、南無妙法蓮華経という成仏の根本法を、私たちが実践できる形で顕してくださいました。

釈尊が法華経に託された未来への救い。

日蓮大聖人様が命を懸けて顕された末法の仏法。

その両方を学ぶとき、仏法が七百年、二千年という長い時を越えて、今を生きる私たちのもとへ届いていることの尊さを感じます。

🌸仏法は、今を生きる私たちのためにある

釈尊や日蓮大聖人様の御生涯は、遠い昔の歴史物語ではありません。

「なぜ人は苦しむのか」

「どうすれば、苦難に負けない自分になれるのか」

「自分だけでなく、周囲の人も幸せになる道はあるのか」

という問いは、現代を生きる私たちにもそのまま当てはまります。

仕事や病気、人間関係、家族、老後への不安。

どれほど時代が変わっても、人間の根本的な苦しみは変わりません。

だからこそ、釈尊が求め続け、日蓮大聖人様が末法に顕してくださった仏法を、今こそ学ぶ意味があるのではないでしょうか。

今、苦しみの中にいる方へ。

あなたは、決して仏様から見捨てられた存在ではありません。

あなたの生命にも、苦難を乗り越え、幸福を築いていく力が具わっています。

日蓮正宗の寺院で、日蓮大聖人様の仏法を学んでみませんか。

まず一度、御住職様のお話を聞き、南無妙法蓮華経のお題目に触れてみてください。

釈尊から日蓮大聖人様へ、そして七百五十年以上の時を越えて伝えられてきた救いの道は、今を生きる私たち一人ひとりのためにあるのです。

南無妙法蓮華経


今日の問いかけ

あなたは今、人生のどのような苦しみを乗り越えたいと願っていますか。

釈尊が探し求め、日蓮大聖人様が末法に顕してくださった成仏への道を、一度学んでみませんか。


🌸注意事項

こちらのブログは、日蓮正宗の公式見解ではなく、信徒である私個人の体験や考えをもとに執筆しております。

そのため、日蓮正宗を代表する見解ではございません。あらかじめご了承ください。

少しでもご興味をお持ちになりましたら、お近くの日蓮正宗の寺院へご連絡いただき、御住職様にお話を伺っていただければ幸いです。

また、「信仰について少し聞いてみたい」「ブログの内容について質問したい」という方は、下記メールアドレスまでお気軽にご連絡ください。

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本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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