冬は必ず春となる ― 悪世末法を生きる⑪
🌸思いやりを失わないために ― 十軍の戦に負けない生き方
近ごろ、「自分さえ良ければいい」と考える人が増えているように感じることがあります。
自分の利益のためなら、誰かが傷ついても気にしない。
困っている人が目の前にいても、見て見ぬふりをする。
立場の弱い人には冷たく接し、自分に利益をもたらす人にだけ愛想よく振る舞う。
人の失敗を喜び、苦しんでいる人をさらに責める。
そのような言動に触れると、心が深く疲れてしまいます。
「どうして、もう少し相手の気持ちを考えられないのだろう」
「自分が同じことをされたら、どのように感じるのだろう」
そう思いながら、誰にも気持ちを分かってもらえず、孤独に耐えている方も多いのではないでしょうか。
思いやりを持つ人ほど、人の冷たさに傷つきます。
真面目な人ほど、自分の言動を振り返り、「自分にも何か悪いところがあったのではないか」と悩みます。
その一方で、人を傷つけた側は何も感じず、平然と日々を過ごしているように見えることもあります。
そんな現実を見続けていると、
「優しく生きても、損をするだけではないか」
「自分も、もっと冷たい人間になったほうが楽なのではないか」
と思ってしまうことがあります。
しかし、人の冷たさによって、自分の中にある慈悲や誠実さまで失ってしまったなら、それこそが本当の敗北なのかもしれません。
日蓮大聖人様は『弁殿尼御前御書』に、次のように仰せられています。
「第六天の魔王、十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ、うばはんと・あらそう。日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし」
第六天の魔王が十種類の魔の軍勢を起こし、法華経の行者からこの娑婆世界を奪われまいとして争う。
それに対して日蓮大聖人様は、二十余年もの間、命にも及ぶ大難を受けながら戦い続け、
「日蓮一度もしりぞく心なし」
――私は一度も退こうと思ったことはない、と仰せられたのです。
🌸「十軍」とは何か
十軍とは、人間を正しい道から遠ざけ、仏道修行を妨げようとする十種類の魔の働きです。
第一は、欲です。
自分の欲望を満たすことばかりを考え、他人の苦しみが見えなくなる心です。
第二は、憂愁です。
悲しみや心配に支配され、「もう何をしても無駄だ」と希望を失わせる働きです。
第三は、飢渇です。
心身が満たされない苦しみから、正しい判断や実践ができなくなることです。
第四は、渇愛です。
人や物、地位や評価などへの執着に縛られ、それを失うことを恐れる心です。
第五は、睡眠です。
必要以上の眠りだけでなく、怠惰や無気力によって、勤行・唱題など大切な実践を先延ばしにさせる働きでもあります。
第六は、怖畏です。
人から嫌われることや批判されることを恐れ、正しいと分かっていることを行えなくなる心です。
第七は、疑悔です。
御本尊様の功徳や正法を疑い、信心を続けてきたことさえ後悔させようとする働きです。
第八は、瞋恚です。
怒りや憎しみに心を支配され、相手を傷つけずにはいられなくなる生命です。
第九は、利養虚称です。
利益や名声を求め、実際以上に自分を立派に見せようとする心です。
第十は、自高蔑人です。
自分を高く見せ、他人を見下し、相手の人格や価値を軽んじる心です。
こうして見ると、十軍は遠い昔だけにあったものではありません。
現代社会にも、そして私たち一人ひとりの心の中にも現れる働きではないでしょうか。
🌸「自分さえ良ければいい」という心
自分の利益だけを求める姿には、「欲」や「利養虚称」の働きが表れます。
人を見下し、弱い立場の人に冷たくする姿には、「自高蔑人」が表れます。
思い通りにならないと相手を攻撃する姿には、「瞋恚」が表れます。
人の目を恐れて、正しいことを言えなくなる心には、「怖畏」があります。
そして、冷たい人に傷つけられた私たちの心にも、
「相手を憎んでやりたい」
「自分も同じように冷たくなってやろう」
「誰のことも信じたくない」
という思いが起こることがあります。
十軍とは、「悪い人の中だけにあるもの」ではありません。
環境や出来事を通して外から襲ってくるとともに、自分自身の生命の中にも起こるものです。
だからこそ、十軍の教えを誰かを裁くために使ってはならないと思います。
「あの人は魔だ」
「あの人には慈悲がない」
と決めつけ、憎しみを深めれば、自分自身が瞋恚や自高蔑人に負けてしまいます。
本当の戦いは、目の前の人を打ち負かすことではありません。
どれほど冷たい言葉を受けても、自分まで人を傷つける側にならないこと。
理不尽な扱いを受けても、怒りや憎しみに人生を支配されないこと。
苦しいことが続いても、御本尊様への信心を手放さないこと。
自分の中の慈悲、誠実さ、希望を守り抜くこと。
それが、私たちにとっての「十軍の戦」ではないでしょうか。
🌸日蓮大聖人様は、なぜ退かれなかったのか
日蓮大聖人様は、正法を弘められる中で、数え切れないほどの大難を受けられました。
悪口を言われ、石を投げられ、住まいを襲われ、流罪に処せられ、ついには命を奪われようとされました。
それでも、日蓮大聖人様は、
「日蓮一度もしりぞく心なし」
と仰せられました。
この御言葉を拝すると、どれほど強い御意志をお持ちであったのかと、胸を打たれます。
しかし、それはご自身の名誉や勝利のためではありませんでした。
末法のすべての人々を救うためです。
御自分を迫害する人々さえ、正法に目覚め、成仏できるよう願われていたのです。
『御義口伝』には、
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」
と仰せられています。
すべての人々が受けるさまざまな苦しみを、ご自身一人の苦しみとして受け止められる。
そこに、日蓮大聖人様の計り知れない御慈悲があります。
「自分だけが救われればよい」という御心ではありません。
苦しんでいる人を残らず救いたい。
正法を知らないために迷い、苦しんでいる人にも、真実の幸福を得てほしい。
その大慈大悲があったからこそ、どのような大難にも一歩も退かれることなく、正法を弘め続けられたのです。
🌸優しさとは、何でも我慢することではない
思いやりを失わないことは、どのような扱いを受けても黙って耐えることではありません。
暴言や威圧、いじめ、暴力などによって心身が傷つけられているなら、その場から離れ、身を守ることも必要です。
信仰しているからといって、危険な場所にとどまり続けなければならないわけではありません。
相手の言いなりになることと、慈悲を持つことは違います。
相手の間違いを見て見ぬふりすることと、思いやりを持つことも違います。
必要なときには、はっきりと「それは間違っています」と伝える。
自分一人で抱え込まず、信頼できる人や適切な相談窓口へ助けを求める。
相手と距離を置きながら、その人がいつか過ちに気づき、正しい道へ進めるよう祈る。
それも、智慧ある慈悲の姿だと思います。
優しさとは、自分を犠牲にして、すべてを耐えることではありません。
御本尊様を根本として自分の生命を守りながら、怒りや憎しみに負けないことです。
🌸相手を変える前に、自分の生命を守る
思いやりのない人に出会うと、どうにかして相手を変えたくなることがあります。
「なぜ分かってくれないのだろう」
「どうして、この人はこんなに冷たいのだろう」
そう考え続けているうちに、自分の心が疲れ果ててしまいます。
人の心を、自分の力だけで変えることはできません。
けれども、御本尊様に向かい、真剣に唱題する中で、自分の生命を変えていくことはできます。
怒りに任せて言葉を返すのか。
冷静に距離を置くのか。
相手の言動に振り回され続けるのか。
自分が進むべき道へ目を向けるのか。
唱題によって生命力と智慧が湧いてくれば、同じ出来事に遭っても、以前とは違う選択ができるようになります。
相手の冷たさを、自分まで冷たい人間になる理由にしない。
相手の身勝手さを、自分が信心を失う理由にしない。
相手の言葉によって、自分の価値まで決めさせない。
それは決して弱さではありません。
自分の仏性を守る、強い生き方です。
🌸信心していても、十軍は襲ってくる
信心をしていれば、悩みや迷いがまったくなくなるわけではありません。
むしろ、真剣に勤行・唱題へ励み、正法を弘めようとするとき、さまざまな障害が起こることがあります。
急に疲れを感じる。
勤行を休みたくなる。
何をしても意味がないように思えてくる。
周囲の目が気になり、信仰について話せなくなる。
折伏しても理解されず、もう二度と伝えたくないと思う。
「本当に功徳があるのだろうか」と、疑いが出てくる。
これらも、信心を退かせようとする十軍の働きとして見ることができます。
だからといって、そのような心が起きた自分を責める必要はありません。
迷いが起きたなら、その迷いを御本尊様に申し上げればよいのです。
悲しいなら、悲しいまま唱題してよいのです。
怒りが収まらないなら、その気持ちも隠さず御本尊様にぶつけてよいのです。
大切なのは、苦しいときに御本尊様から離れないことです。
心が整ってから唱えるのではなく、心を整えるために唱える。
確信を持ててから進むのではなく、唱題しながら確信を取り戻していく。
一遍でもお題目を唱えようとする、その心が、十軍に退かない最初の一歩になります。
🌸思いやりを失った人も、苦しんでいるのかもしれない
人に冷たくする人の中にも、深い苦しみが隠れていることがあります。
自分が傷つけられてきたために、人を信じられなくなったのかもしれません。
愛情を受けられず、誰かを大切にする方法が分からないのかもしれません。
自分の弱さを隠すために、人を見下しているのかもしれません。
もちろん、苦しい事情があったからといって、他人を傷つけてよいわけではありません。
悪い行為まで肯定する必要はありません。
しかし、その人もまた、貪りや怒り、愚かさに支配され、十軍に苦しめられている一人なのかもしれない。
そのように考えられたとき、相手の行為を正しく見極めながらも、憎しみだけに支配されずに済むことがあります。
これが、仏法によって得られる慈悲と智慧なのではないでしょうか。
🌸自分だけの幸福から、共に幸せになる道へ
日蓮正宗の信仰は、自分一人だけが救われればよいという信仰ではありません。
御本尊様を信じて勤行・唱題に励む「自行」と、その功徳と喜びを人に伝える「化他」の両方が大切です。
自分自身が悩みを乗り越え、幸福境涯を築いていく。
そして、同じように苦しんでいる人へ、
「あなたにも、立ち上がる道があります」
「あなたの人生には、かけがえのない価値があります」
と正法を伝えていく。
それが、自行化他の信心です。
今の社会に思いやりが足りないと感じるなら、まず自分が思いやりを実践する一人になる。
誰も人の苦しみに気づかないと思うなら、自分がその苦しみに気づく一人になる。
「自分さえ良ければいい」という人が多いと感じるなら、自分だけでなく、誰かの幸福も祈る一人になる。
一人の真心は小さく見えるかもしれません。
それでも、その一人から慈悲の輪は始まります。
すぐに相手が信仰を理解してくれなくても、心を込めて伝えた言葉が、その人の生命に残ることがあります。
いつかその人が大きな苦難に直面したとき、
「以前、南無妙法蓮華経という信仰について教えてくれた人がいた」
と思い出すかもしれません。
誰か一人の幸福を願い、勇気を出して正法を伝えることは、決して無駄にはなりません。
🌸人の冷たさに、自分の慈悲を奪わせない
この世の中から、すぐに身勝手な人がいなくなるわけではありません。
明日も、思いやりのない言葉に傷つくことがあるかもしれません。
一生懸命に人を大切にしても、その真心が報われないこともあるでしょう。
しかし、相手の冷たさに、自分の慈悲まで奪わせてはなりません。
人に軽く扱われても、あなたの価値が軽くなったわけではありません。
優しさを利用されたからといって、あなたの優しさが間違っていたわけではありません。
誰にも理解されない日があっても、御本尊様は、あなたの真心も涙も、すべてご照覧くださっています。
人を思いやる心は、弱さではありません。
傷ついてもなお、他人の幸福を願おうとする心は、強さです。
そして、その心を守り抜くための力を与えてくださるのが、御本尊様への信心です。
「日蓮一度もしりぞく心なし」
この御言葉を胸に刻み、私たちも日々の十軍の戦に退くことなく、勤行・唱題を重ねてまいりましょう。
冷たい人に勝つとは、その人より冷たくなることではありません。
人の冷たさによって、自分の中の慈悲まで失わないことです。
苦しんでいる人を見捨てず、その人の幸福を祈ること。
そして、自分自身も御本尊様から離れず、何度でも立ち上がること。
一人ひとりがそのように生き始めたとき、「自分さえ良ければいい」という暗い世の中にも、少しずつ慈悲の光が広がっていくのではないでしょうか。
今日も御本尊様にすべてを申し上げ、十軍に負けない強い生命と、誰かの痛みに寄り添える温かな心を祈ってまいりましょう。
南無妙法蓮華経
今日の問いかけ
人の冷たい言葉や身勝手な行動によって、あなた自身の優しさまで失いそうになったことはありませんか。
その苦しみを一人で抱え込まず、御本尊様にありのまま申し上げ、今日できる一遍のお題目から、もう一度、慈悲と希望を取り戻してみませんか。

🌸注意事項
こちらのブログは、日蓮正宗の公式見解ではなく、信徒である私個人の体験や考えをもとに執筆しております。
そのため、日蓮正宗を代表する見解ではございません。あらかじめご了承ください。
少しでもご興味をお持ちになりましたら、お近くの日蓮正宗の寺院へご連絡いただき、ご住職様にお話を伺っていただければ幸いです。
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