冬は必ず春となる ― 悪世末法を生きる㉒
🌸功徳はお金で買えない ― 300万円の財務を経験して学んだこと
私は以前、現在の日蓮正宗とは異なる団体に所属していました。
その団体では毎年、「広布基金」や「財務」と呼ばれる寄付の取り組みがありました。
座談会などでは、
「財務に真心を込めて取り組んだら、大きな功徳をいただいた」
「思い切って多くの財務をしたら、願いがかなった」
という体験が発表されることがありました。
そして、その体験を聞いた後には、
「今年も頑張っていきましょう」
と、参加者へ呼びかけられていました。
私も周囲の方から、
「広布基金をすれば、絶対に功徳があるよ」
と励まされました。
当時の私は若く、団体の指導者も、先輩方の言葉も、すべて正しいと信じ切っていました。
相続の関係で一時的にお金を持っていたこともあり、私は合計で300万円もの財務をしたことがあります。
今振り返れば、大変大きな金額です。
けれども当時は、
「これほど真心を尽くせば、きっと大きな功徳がある」
「広宣流布のためなのだから、間違っているはずがない」
と信じていました。
🌸300万円を出した後に残った疑問
ところが、私には、300万円という大きな財務と結びつけて実感できるような功徳はありませんでした。
もちろん、功徳は必ずしもお金や目に見える出来事だけに現れるものではありません。
自分が気づかなかっただけだと言う人もいるでしょう。
しかし、少なくとも私自身は、
「たくさん出せば、それだけ大きな功徳がある」
と受け取れるような話を信じて財務をしたにもかかわらず、その説明と自分の現実との間に、大きな隔たりを感じました。
当時の私は、その疑問を素直に認めることができませんでした。
願いがかなわなくても、
「自分の信心が足りないからだ」
「もっと活動しなければならない」
「団体が間違っているはずはない」
と、自分のほうを責めていました。
信じてきたものが間違っているかもしれないと認めることは、自分の過去や努力まで否定するように感じられたからです。
🌸公式の説明と、現場で感じる圧力は同じとは限らない
現在、その団体の公式発信では、財務は希望者が自分の意思で行うものであり、強制ではなく、金額も指定されないと説明されています。また、金額の多寡より真心が大切だとも説明されています。
ですから私は、
「団体から300万円を指定され、強制的に取り上げられた」
と主張するつもりはありません。
最終的に金額を決め、振り込んだのは私自身です。
けれども、形式上は自由であっても、
「多く出して大功徳を得た」
という体験を繰り返し聞き、
「今年も頑張りましょう」
と皆で励まし合う環境にいれば、断りにくさや心理的な圧力を感じることがあります。
特に若く、周囲の先輩方を信頼し、団体の教えを疑っていない人は、
「少ない金額では、信心が弱いと思われるのではないか」
「大きな功徳を得るには、思い切った財務が必要なのではないか」
と受け取ってしまうことがあります。
当時、私に財務を勧めた方々も、私を騙そうとしていたのではなく、その方々自身が心から功徳を信じていたのかもしれません。
しかし、悪意がなかったとしても、伝えられた側が大きな金額を出し、後になって苦しむことはあります。
だからこそ、宗教上の寄付を勧める言葉には、細心の注意が必要なのだと思います。
🌸御供養と、功徳を買うことは違う
私は、御供養そのものを否定しているのではありません。
仏法僧の三宝へ報恩感謝の真心をもって御供養することは、仏道修行の一つです。
しかし、御供養は、
「これだけ出したから、これだけ願いをかなえてください」
という取引ではありません。
お金を多く出せば、病気が治る。
多額の寄付をすれば、収入が増える。
大きな財務をすれば、家族の問題が解決する。
そのように、金額と現世利益を交換条件のように結びつければ、信仰がまるで投資や商品の購入のようになってしまいます。
日蓮正宗寺院の御供養に関する説明では、御供養は自分の力に応じて無理なく継続し、家庭を犠牲にせず、自発的な真心によって行うことが大切だと示されています。
御法主日如上人猊下の御指南としても、たとえ砂で作った餅のような小さなものであっても、真心から仏様へ御供養する功徳は大きいと紹介されています。
大切なのは、金額を競うことではありません。
生活を破壊するほど無理をすることでもありません。
御本尊様へ報恩感謝を申し上げたいという、信心の心です。
🌸「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」
日蓮大聖人様は『日女御前御返事』に、
「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」
と仰せです。
御本尊様の功徳を開く根本は、寄付金額の大小ではなく、正しい御本尊様を信じ、勤行・唱題と折伏に励む信心です。
日蓮正宗寺院の御聖訓でも、この御文に続いて「以信得入」と示され、仏法へは信によって入ることが説かれています。
お金のある人だけが、大きな功徳を得られるのであれば、貧しい人は成仏できないことになってしまいます。
しかし、日蓮大聖人様の仏法は、そのような教えではありません。
裕福な人にも、生活の苦しい人にも、病気の人にも、社会的に弱い立場の人にも、御本尊様へ向かって南無妙法蓮華経と唱え、成仏していく道が平等に開かれています。
財産の多さで、生命の尊さや成仏の可能性が決まることはありません。
🌸奇跡のような体験だけで、正邪を判断しない
以前、私を日蓮正宗の寺院へ連れて行ってくださった方のブログで、「現世利益主義と奇跡信仰」についての記事を読みました。
そこでは、病気が治った、お金が入った、人間関係が改善したといった即効的な利益や、教祖の神秘的な能力だけを根拠に、宗教を正しいと判断する危険性が述べられていました。
この指摘から学べることは多いと思います。
病気が回復することは、本人にとって本当にありがたいことです。
しかし、治療による回復、自然な経過、生活環境の変化など、さまざまな要因が考えられます。
一つの出来事だけを見て、
「この宗教に入ったから治った。だから教えのすべてが正しい」
と判断することはできません。
反対に、信仰をしていて病気になったからといって、直ちにその人の信心が弱いと決めつけることもできません。
大切なのは、一時的に願いがかなったかどうかだけではなく、
- 何を本尊としているのか
- どのような教義に基づいているのか
- 日蓮大聖人様の教えから逸脱していないか
- 人を指導者や組織へ依存させていないか
- 疑問や質問を口にできるか
- 寄付によって生活や家庭を壊していないか
- 信仰によって、長い年月の中で生命と生き方がどう変わるのか
を、冷静に確かめることだと思います。
🌸功徳がないと感じたとき、疑問を封じない
私が以前の団体にいた頃は、願いがかなわないときにも、
「団体の教えが間違っているのではないか」
と考えることができませんでした。
すべてが真実だと思い込んでいたため、自分の疑問を押し殺していたのです。
けれども、信仰について疑問を持つこと自体が、ただちに悪いことなのではありません。
疑問をきっかけとして、御書を学び、歴史を調べ、何が正しいのかを確かめることができます。
質問を許さず、
「疑うあなたの信心が弱い」
「功徳がないのは、活動や寄付が足りないからだ」
と、すべてを本人の責任にしてしまえば、誤りに気づく機会を失います。
祈っても願いがかなわない。
活動しても心が苦しくなる。
多額の寄付をしても、説明されたような功徳を実感できない。
そのようなときは、自分を責め続けるだけでなく、
「私は何を信じているのか」
「この教えは、日蓮大聖人様の御意にかなっているのか」
と、立ち止まって確かめることも必要です。
🌸間違いに気づいたら、戻ることができる
私は、法華講員の方が発信していた動画を通して、以前の団体が日蓮正宗から離れ、教えを変えてしまったことを知りました。
最初は、すぐに受け入れられたわけではありません。
長く信じてきたものを見直すことは、とても苦しいことでした。
自分が費やした時間、労力、お金、そして信じてきた心。
それらが無駄だったと思いたくない気持ちもありました。
しかし、過去にどれほど信じていたとしても、間違いに気づいたときに立ち止まり、正しい道へ戻ることはできます。
私は法華講の方々の発信を見て学び、日蓮正宗の寺院へ戻ることができました。
これは、私にとって非常に大きな転機でした。
300万円を出した過去を消すことはできません。
けれども、その経験があったからこそ、
「功徳はお金で買うものではない」
「団体や人の言葉を、無条件に信じてはならない」
「正しい本尊と教義を確かめることが大切である」
と、身をもって学ぶことができました。
この経験を、同じように悩んでいる方へ伝えることが、今の私にできることだと思っています。
🌸何も感じなくても、祈り続ける中で
日蓮正宗へ戻ってから、御本尊様に祈れば、毎回不思議な感覚が起きるというわけではありません。
声が聞こえるわけでも、目の前に奇跡が現れるわけでもありません。
何も特別に感じない日もあります。
それでも後になって振り返ると、
「大きな問題にならずに済んだ」
「必要なときに助けてくれる人と出会えた」
「間違った方向へ進む前に、立ち止まることができた」
「苦しい中でも、完全に心が折れずに済んだ」
と思えることがあります。
それが御本尊様に守られた姿なのかもしれないと、私は感じています。
派手な奇跡でなくてもよいのです。
今日一日を無事に生きられた。
苦しい中でも勤行ができた。
人を恨まずに済んだ。
もう一度立ち上がろうと思えた。
それだけでも、私にとっては十分な「儲けもの」です。
信仰とは、神秘的な現象を追い求めることではありません。
御本尊様に向かって唱題し、御書を学び、自分の言葉と行動を正しながら、どのような苦難にも負けない境涯を築いていくことだと思います。
🌸寄付を決める前に考えてほしいこと
宗教団体へ寄付や御供養をする前に、次のことを一度考えてみてください。
- 本当に自分の自由意思で決めているでしょうか
- 周囲との競争や、断りにくい雰囲気に流されていないでしょうか
- 「多く出せば大きな功徳がある」と期待していないでしょうか
- 生活費、医療費、老後資金、家族の暮らしを犠牲にしていないでしょうか
- 断ったり、金額を減らしたりしても責められない環境でしょうか
- お金の使途や教義について、質問できるでしょうか
- 不安や恐怖ではなく、報恩感謝の真心から行おうとしているでしょうか
一つでも強い違和感があるなら、その場ですぐに決めず、いったん持ち帰って考えてよいのです。
家族や信頼できる人へ相談してもよいのです。
信仰上の寄付であっても、自分と家族の生活を守ることは大切です。
本当の御供養は、誰かに競わされ、恐怖や見返りへの期待によって行うものではありません。
自発的な信心と報恩感謝の心から、自分の力に応じて行うものだと思います。
🌸過去の自分を責めない
私は、300万円もの財務をした当時の自分を思い出すと、
「なぜ、もっと冷静に考えなかったのだろう」
と思うことがあります。
若かったから、周囲の言葉を疑えなかった。
大きな功徳があると信じたかった。
指導者や団体を信じることが、正しい信心だと思っていた。
しかし、あの頃の私は、誰かを傷つけようとしていたのではありません。
真剣に信仰し、幸福になりたいと願っていました。
広宣流布のために役立ちたいと、純粋に思っていたのです。
だから、過去の自分を責め続ける必要はないと思っています。
悪かったのは、真心を持っていたことではありません。
金額と功徳を結びつける言葉を、確かめずに信じてしまったことです。
過去の失敗に気づいたなら、その経験を今後の智慧へ変えることができます。
同じことで悩んでいる人に、
「あなた一人ではありません」
「疑問を持ってもよいのです」
「正しい道へ戻るのに、遅すぎることはありません」
と伝えることができます。
🌸功徳は、買うものではなく開くもの
功徳は、お金で買う商品ではありません。
寄付金額に応じて、願いがかなう割合が増えるものでもありません。
正しい御本尊様を信じ、朝夕の勤行・唱題に励む。
御書と正しい教学を学ぶ。
謗法を慎み、自分の言葉と行動を改める。
一人でも多くの方が幸福になれるよう、慈悲をもって折伏する。
そして、苦難に直面しても信心を手放さず、現実の中で努力を続ける。
その自行化他の信心によって、自分の中にある仏界を開き、人生を変えていく。
それが、私の学び直した功徳の道です。
もし今、
「多く寄付しなければ不幸になる」
「財務が少ないと、信心が弱いと思われる」
「これだけ出せば、必ず願いがかなう」
と苦しんでいる方がいるなら、どうか一度立ち止まってください。
恐怖や競争に追われて、お金を出す必要はありません。
そして、かつての私と同じように、信じてきた教えに疑問を持ちながら、誰にも言えずにいる方へ。
疑問を押し殺さず、御書と歴史に照らし、何が正しいのかを確かめてください。
必要であれば、お近くの日蓮正宗寺院を訪ね、ご住職様へ直接お話を伺ってください。
間違いに気づいたときから、新しい一歩を始めることができます。
私も遠回りをしました。
それでも、日蓮正宗へ戻ることができました。
過去を悔やむだけではなく、その経験を一人の幸福のために生かしながら、これからも御本尊様への信心を貫いてまいります。
南無妙法蓮華経
今日の問いかけ
あなたの信仰は、恐怖や見返りへの期待によって支えられていないでしょうか。
そして、寄付や御供養をするとき、自分と家族の生活を守りながら、自由意思と報恩感謝の真心で決めることができているでしょうか。

🌸注意事項
こちらのブログは、日蓮正宗の公式見解ではなく、信徒である私個人の体験や考えをもとに執筆しております。
そのため、日蓮正宗を代表する見解ではございません。あらかじめご了承ください。
本記事に記した300万円の財務は、私自身の過去の経験です。当時のすべての関係者に悪意があったと断定するものでも、すべての会員が同じ経験をしたと主張するものでもありません。
また、特定の寄付によって功徳が得られる、あるいは得られないことを、金銭的な効果として証明するものではありません。信仰上の体験と、医療・経済・生活上の出来事は、慎重に分けて考える必要があります。
紹介された別のブログ記事については、文章を転載せず、「奇跡や即効的な現世利益だけで宗教の正邪を判断しない」「寄付金額と功徳を交換条件のように結びつけない」という趣旨を、私自身の経験に照らして要約しました。
高額な寄付を求められて不安を感じる場合や、断ることで威圧・不利益を受けるおそれがある場合は、その場ですぐに決めず、家族、信頼できる第三者、消費生活相談窓口などへ相談してください。
少しでも日蓮正宗の信仰にご興味をお持ちになりましたら、お近くの日蓮正宗の寺院へご連絡いただき、ご住職様にお話を伺っていただければ幸いです。
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