生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

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臨終正念と折伏の大切さ ― 御講で感じたこと

 本日の御講において、毎回欠かさずお寺の行事に参加されていた御信徒の方が御逝去されたことを、御住職より伺いました。
 突然の訃報に、皆が大きな衝撃を受け、お寺の空気も静かで、深く考えさせられる一日となりました。

 人の命は、まことに無常です。
 昨日まで元気にお寺へ参詣されていた方が、突然この世を去られる――その現実に触れる時、私たちは改めて、日蓮大聖人の、

「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」

との御金言を思わずにはいられません。

 今回亡くなられた方は、御家族の中でただ一人、日蓮正宗の信仰をされていたとのことでした。
 しかし、御住職が丁寧にお話しされたにもかかわらず、御家族は葬儀を行わない意向であると、その方の弟様がお話しされていたそうです。

 もちろん、御家族にも様々な事情や考えがあると思われます。
 私ども信徒としても、簡単に踏み込めない難しい状況であることは理解できます。

 そのような中でも、一つの救いとして感じられるのは、御遺骨については、お寺に納めていただける可能性があるということです。
 御本尊まします寺院との御縁が結ばれることは、決して小さなことではないと思われます。

 日寛上人は『臨終用心抄』において、臨終正念の難しさを説かれています。
 臨終の時には、断末魔の苦しみ、魔障、そして家族や財産への執着など、様々な妨げが起こるとされています。

 だからこそ、常日頃から信心を貫き、題目を唱え、妙法を根本に生きることが何より大切なのだと痛感いたします。

 また今回の出来事を通し、改めて感じたのは、「折伏をしなければならない」ということでした。

 もし家族の中に一人でも信心を理解する人がいれば、臨終の場面や、その後の供養においても、大きく状況は変わることがあります。
 しかし、正法を知らないまま人生を終えてしまえば、周囲も仏法の大切さを理解できず、結果として、今回のような状況になってしまうこともあるのだと思います。

 私たちは普段、「まだ先のこと」と思いがちですが、人の死は突然訪れます。
 だからこそ、自分自身の信心はもちろんのこと、家族や縁する人々に正法を伝えていく折伏弘通が、どれほど大切であるかを改めて考えさせられました。

 大聖人は、道善房の御逝去の後も追善回向を続けられました。
 たとえ生前に入信へ至らなかったとしても、御本尊の功徳、そして真心からの追善回向によって、救いの道は必ず開かれるのだと信じます。

 今回亡くなられた御信徒の方の御冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、私自身もまた、「臨終ただ今なり」の御精神を忘れず、一日一日を悔いなく信心修行に励んでいきたいと思います。

【注意事項】こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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