生年月日1965年6月24日
出身地:徳島県

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冬は必ず春となる!(悪世末法を生きる)

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祈りが叶うために大切なこと

🌸― 正しい祈りと御本尊様への信心 ―

私たち凡夫は、日々さまざまな悩みや苦しみを抱えて生きています。
不安、人間関係、病気、経済苦など、それぞれに背負うものがあります。

だからこそ、私たちは御本尊様に祈り、救いを求めるのであります。

しかし、「祈り」は、ただ願えば叶うというものではありません。
日蓮正宗では、善悪の基準を明確にし、正しい信心を根本として祈ることが大切であると教えられています。


🌸貪瞋癡の三毒による祈り

私たちの心には、貪り、怒り、愚かさという「貪瞋癡(とんじんち)」の三毒があります。

さらに、生命を迷わせる三惑など、凡夫には多くの迷いがあります。

そのため、自分中心の欲望や執着、怒りや嫉妬を根本とした祈りでは、仏法の道理にかなった祈りとは言えません。

日蓮正宗の信心では、こうした迷いを乗り越えながら、御本尊様に向かって真心から祈ることが大切なのであります。


🌸日蓮大聖人の御指南

日蓮大聖人は『経王殿御返事』に、

「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼池』『現世安穏、後生善処』疑ひなからん。」

(御書六八五頁)

と仰せです。

三大秘法の御本尊様に真心から祈念するならば、成就しないことはないと仰せなのであります。

また、

「現世安穏、後生善処」

とも御指南のように、現在の人生において安穏を得るだけでなく、未来においても善き境界へ導かれるのであります。


🌸「戒定慧の三学」が祈りの根本

仏法には、「戒・定・慧」の三学があります。

  • 戒 … 悪を防ぎ、善を行う
  • 定 … 正しい心を保つ
  • 慧 … 真実を見抜く智慧

日蓮正宗では、この「戒定慧の三学」は、三大秘法の御本尊様に具わっていると拝します。

そのため、正しい祈りとは、御本尊様の御心にかなう祈りでなければなりません。

御題目を唱えていても、邪な考えや自己中心的な欲望に執着していては、仏法の道理から外れてしまいます。

だからこそ、私たちは勤行唱題を通し、自分自身の心を見つめ、邪な心を少しずつ浄化していくことが大切なのであります。


🌸「祈り」と「功徳」

日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、

「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」

(御書四〇六頁)

と仰せです。

御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えるならば、滅しない罪はなく、来ない福もないと御指南されております。

さらに、第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に、

「故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく」

と御指南されています。

このように、正境である御本尊様に信を取り、御題目を唱えるところに、大きな功徳があるのであります。


🌸善に通じる祈りが大切

「祈り」は、その内容が大切です。

「戒」の教えである「防非止悪」のように、悪を止め、善を生じる祈りであることが重要です。

悪に通じる祈りではなく、自他共の幸福や、自身の人間革命につながる祈りを、信心根本に行うところに、御本尊様の功徳が現れていくのであります。


🌸御本尊様に向かう姿勢

私たちの信心は、ただ形式だけではありません。

御本尊様に向かう姿勢、勤行唱題への真剣な心、そして身口意の三業にわたる信心の姿を、御本尊様は御覧になられています。

だからこそ、正しい信心を根本に、素直な心で御題目を唱えていくことが大切なのであります。

その積み重ねの中で、私たちは有り難い功徳を頂き、「祈り」が叶う人生へと導かれていくのであります。


🌸まとめ

私たちは凡夫であるからこそ、迷いも苦しみもあります。

しかし、三大秘法の御本尊様を信じ、正しい祈りをもって勤行唱題に励むならば、必ず人生は開かれていきます。

日蓮大聖人の仰せの通り、

「何事か成就せざるべき」

との御金言を信じ、これからも信心に励んでいきたいと思います。

【注意事項】こちらのブログは、日蓮正宗の見解ではございません。あしからず、ご了承ください。また、少しでも、ご興味があれば、お近くの日蓮正宗の寺院を検索していただき、ご住職様にアポを取って、お話を聞いていただければと存じます。本日も読んでくださり、ありがとうございました。

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