冬は必ず春となる ― 悪世末法を生きる⑨
🌸地獄の苦しみぱっと消えて ― 転重軽受とは何か
人生には、とても自分一人の力では耐えられないと思うほど、重い苦難が起こることがあります。
病気、事故、災害、経済的な困窮、人間関係の悩み、大切な人との別れ――。
それまで当たり前だと思っていた生活が、突然変わってしまうこともあります。
真面目に生き、信仰にも励んでいるのに、なぜこのような苦しみを受けなければならないのだろう。
御本尊様を信じているのに、どうして願いがすぐに叶わないのだろう。
苦難の中にいると、そのような疑問が心に浮かぶこともあるでしょう。
しかし、苦難に遭ったからといって、信仰が間違っているわけではありません。
日蓮大聖人様は『転重軽受法門』に、苦難を信心によって乗り越えることの、非常に深い意味を御教示くださっています。
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかゝる重苦に値ひ候へば、地獄の苦しみぱっときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうる事の候」
この御文の中にある、
「地獄の苦しみぱっときへて」
という御言葉には、苦難の中にいる私たちを励ます、大きな希望が込められています。
🌸重い苦しみを、軽く受ける
「転重軽受」とは、重きを転じて軽く受けるという意味です。
私たちには、今生だけでは計り知ることのできない、過去世からのさまざまな業や罪障があります。
本来ならば、未来にわたって地獄のような重い苦しみを受けなければならないところを、正法を信受し、御本尊様への信心を貫く中で、その重い罪障を今生に軽く受け、消滅していくことができると説かれているのです。
今、目の前に現れている苦難だけを見れば、
「なぜ、こんなことが起きたのだろう」
と嘆きたくなるかもしれません。
しかし信心の眼で見るならば、その苦難は、未来まで続くはずだった重い罪障を今生で転じ、幸福境涯を開いていく大切な機会となることがあります。
苦難によって人生が終わるのではありません。
御本尊様を信じ、唱題を重ねて乗り越えることによって、苦難の意味を変えていくことができるのです。
🌸「ぱっと消える」とは、どういうことか
「地獄の苦しみぱっときへて」と聞くと、御本尊様に祈れば、病気や生活上の問題が瞬時にすべて消えるという意味に受け取る方もいるかもしれません。
けれども、この御文は、目の前の問題が何もしなくても魔法のように消える、という意味ではありません。
現実の苦難が解決するまでには、時間がかかることもあります。
病気であれば適切な治療を受け、生活上の問題であれば必要な行動を起こし、人の力を借りなければならない場合もあります。
それでも、御本尊様に向かって真剣に唱題していくと、苦しみに押しつぶされそうだった自分の生命に、少しずつ勇気と智慧が湧いてきます。
同じ問題を抱えていても、それに支配され、絶望するだけの自分ではなくなっていくのです。
進むべき道が見え、助けてくれる人との縁が生まれ、問題を解決するための行動を起こせるようになることもあります。
そして信心を貫く中で、未来まで受け続けるはずだった重い罪障が消滅し、自分自身の境涯が大きく変わっていきます。
問題そのものが解決する功徳もあれば、その苦難に負けない自分へと成長する功徳もあります。
どちらも、御本尊様からいただく尊い功徳なのだと思います。
🌸苦しみは、罰ではない
ここで、決して間違えてはならないことがあります。
苦難の中にいる人に向かって、
「あなたの罪障が深いから、そのような目に遭ったのだ」
「信心が足りないから、願いが叶わないのだ」
と、簡単に決めつけてはならないということです。
他人の宿業を、私たち凡夫が見通すことはできません。
深い悲しみの中にいる人に必要なのは、冷たい評価ではなく、その痛みに寄り添い、共に祈り、再び立ち上がれるように支える慈悲です。
転重軽受の御法門は、苦しんでいる人を責めるための教えではありません。
「この苦しみで、自分の人生は終わらない」
「御本尊様を信じて乗り越えれば、この苦難を必ず幸福への一歩に変えられる」
と、苦難の中にいる本人が希望を持つための御教えなのです。
🌸信仰しているから、難がなくなるのではない
信仰を始めれば、人生からすべての苦難がなくなるわけではありません。
私たちは皆、さまざまな宿業を持ってこの世に生まれています。
また、正しい仏法を守り、弘めようとすれば、周囲から理解されなかったり、反対されたりすることもあります。
折伏をしても、話を聞いてもらえないことがあります。
嫌われたり、悪口を言われたり、厳しい言葉を浴びせられたりすることもあるでしょう。
しかし、そのような難に遭ったときこそ、御本尊様への信心を失わず、唱題を重ねることが大切です。
相手を憎むのではなく、その人の幸福を祈り、自分自身も言葉や態度を振り返りながら、慈悲と智慧をもって正法を伝えていく。
その自行化他の信心によって、私たちは自らの罪障を消滅し、宿業を転換していくことができます。
ただし、暴言や威圧、暴力によって心身の危険を感じる場合まで、その場に耐え続ける必要はありません。
安全な場所へ離れ、必要な助けを求めることと、信心を貫くことは矛盾しません。
苦しみに耐えること自体が信仰なのではなく、どのようなときにも御本尊様を根本として、正しく判断し、苦難に負けないことが大切なのです。
🌸苦難の意味は、あとから分かることがある
苦しみの真っただ中にいるときには、その出来事にどのような意味があるのか、分からないことがあります。
「この苦しみが、本当に何かに変わるのだろうか」
と思う日もあるでしょう。
けれども、御本尊様への信心を失わず、一日一日、勤行・唱題を続けていく中で、後になって初めて、
「あの苦難があったから、自分は変わることができた」
「あのとき唱題を続けたから、この道が開けた」
「苦しんだ経験があるから、人の痛みが分かるようになった」
と思えるときが来ることがあります。
以前は自分のことだけで精いっぱいだった人が、同じ苦しみを抱える人に寄り添えるようになる。
絶望の中にいた人が、今度は誰かに希望を伝える人になる。
苦難を経験したからこそ、自分にしかできない折伏や励ましが生まれることもあります。
それは、苦しみがその人の使命へと変わった姿ではないでしょうか。
🌸御本尊様は、すべてをご照覧くださっている
誰にも理解してもらえない苦しみであっても、御本尊様は、私たちの心の中まですべてご照覧くださっています。
人に言えない涙も、必死に唱えた一遍のお題目も、苦しみながら踏み出した小さな一歩も、決して無駄にはなりません。
すぐに結果が見えないからといって、唱題が届いていないわけではありません。
私たちの願い通りの形ではなくても、御本尊様は、私たちにとって本当に必要な方向へ導いてくださいます。
だからこそ、苦しいときほど、
「もう駄目だ」
と信心を手放すのではなく、ありのままの苦しみを御本尊様に申し上げ、南無妙法蓮華経と唱えていくことが大切です。
泣きながらでもよいのです。
心が整わなくても、すぐに確信を持てなくてもよいのです。
まず御本尊様の前に座り、一遍でもお題目を唱える。
その一歩から、止まっていた心が少しずつ動き始めます。
🌸冬は、必ず春となる
日蓮大聖人様は、
「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」
と仰せられています。
厳しい冬のような苦難は、いつまでも続くものではありません。
御本尊様を信じ、勤行・唱題と折伏に励み、自行化他の信心を貫いていくならば、重い宿業を転じ、必ず幸福境涯を開いていくことができます。
それが、日蓮大聖人様の教えてくださる転重軽受の御法門です。
今、大きな悩みを抱えている方へ。
あなたの苦しみは、決して無駄ではありません。
今は先が見えなくても、あなたの人生がここで終わるわけではありません。
御本尊様を信じ、今日一日のお題目を重ねてください。
未来まで続くはずだった地獄の苦しみを、今生で転じて消滅し、やがて、
「あの冬を越えたから、今の春がある」
と思える日を迎えるために。
今日も御本尊様にすべてをお任せし、希望を失わず、信心の道を歩んでまいりましょう。
南無妙法蓮華経
今日の問いかけ
今、あなたが「もう乗り越えられない」と感じている苦しみは何でしょうか。
その苦しみを一人で抱え込まず、御本尊様にすべてを申し上げ、今日できる一遍のお題目から、もう一度始めてみませんか。

🌸注意事項
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そのため、日蓮正宗を代表する見解ではございません。あらかじめご了承ください。
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