冬は必ず春となる ― 悪世末法を生きる⑭
🌸「互ひに毀るべからず」― 信仰者同士が忘れてはならない思いやり
同じ信仰をしている者同士であっても、人間関係に悩むことがあります。
何気なく言われた一言に傷ついたり、自分のいないところで悪く言われていると知ったり、信仰の姿勢を比べられたりすることもあるでしょう。
反対に、自分自身も、腹が立ったときや心に余裕がないとき、相手の悪口や愚痴を口にしてしまうことがあります。
しかし、そのような私たちに、日蓮大聖人様は大切な御言葉を残してくださっています。
『松野殿御返事(十四誹謗抄)』には、次のように仰せです。
「忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり」
たとえ、ついうっかりであっても、法華経を信じ持つ者同士が、互いを謗ってはならない。
それは、正法を持つ人は皆、成仏へ向かう尊い生命を持っているからである――そのように教えてくださっているのだと思います。
🌸同じ信仰をしていても、違いはある
同じ御本尊様を信仰していても、年齢、性格、生活環境、信心の歩み方は一人ひとり異なります。
悩みの深さも、体力も、できることも違います。
その人がどれほど苦しみながら勤行・唱題を続けているのか、どのような事情を抱えているのかは、外から見ただけでは分かりません。
それにもかかわらず、
「題目が足りない」
「信心が弱い」
「あの人は何も分かっていない」
と、簡単に決めつけてしまえば、励ますつもりの言葉であっても、相手の心を深く傷つけることがあります。
信心の強さは、人と比べて誇るものではないと思います。
むしろ信仰者であるからこそ、苦しんでいる人の心に寄り添い、その人がもう一度御本尊様に向かえるように、温かな言葉をかけることが大切なのではないでしょうか。
🌸軽蔑・憎しみ・嫉妬・恨みを戒める
十四誹謗の中には、正法を信じる人を軽蔑する「軽善」、憎む「憎善」、嫉妬する「嫉善」、恨む「恨善」があります。
これは僧侶だけ、あるいは在家信徒だけに向けられた戒めではありません。
信仰するすべての者が、自分自身の言葉と心を振り返るための御教示です。
相手の失敗を面白がって話す。
確かめてもいない噂を広げる。
誰かの功徳や活躍を嫉妬し、価値を下げるようなことを言う。
意見が合わないだけで、その人の人格や信心まで否定する。
このような言葉は、相手を傷つけるだけでなく、発した自分自身の生命にも、憎しみや慢心を刻んでしまいます。
信仰しているから、いつも正しい言葉を話せるとは限りません。
だからこそ、日々の唱題の中で、自分の心にある怒り、嫉妬、慢心と向き合うことが必要なのだと思います。
🌸相談することは、悪口ではない
一方で、「互いに毀るべからず」という御言葉を、何も言わずに我慢し続けることだと受け取ってはならないと思います。
誰かの言葉や行動によって傷ついたとき、その苦しみを信頼できる人に相談することは、単なる悪口ではありません。
暴言、威圧、不適切な扱いなどがあった場合に、事実を整理して適切なところへ伝えることも必要です。
問題を正すための意見と、相手をおとしめるための悪口とは、目的が違います。
大切なのは、
「この言葉は問題の解決につながるだろうか」
「事実と自分の感情を分けて話しているだろうか」
「相手の人格まで否定していないだろうか」
と、自分に問いかけることです。
苦しみを訴えた人に対して、ただ「悪口を言ってはいけない」と封じることも、慈悲ある対応とはいえません。
まず、その人の話を聞く。
傷ついた心に寄り添う。
そして必要ならば、問題を冷静に解決する方法を一緒に考える。
それもまた、信仰者に求められる思いやりではないでしょうか。
🌸相手を正すときにも、慈悲を忘れない
間違った行動を見ても、何も言わないことだけが優しさではありません。
ときには、相手のため、周囲の人のために、問題を指摘しなければならないこともあります。
しかし、その目的は相手を打ち負かすことではなく、間違いを改め、共により良い方向へ進むことにあるはずです。
厳しいことを伝える場合にも、嘲笑や侮辱ではなく、事実に基づいて、できるだけ本人や適切な相手に伝える。
自分と意見が違っても、その人の生命まで軽んじない。
これが、御書に照らした信仰者の姿勢ではないかと思います。
🌸言葉を発する前に
誰かのことを話したくなったとき、私は次のように自分へ問いかけたいと思います。
この話は、本当のことでしょうか。
今、話す必要があることでしょうか。
本人のためになることでしょうか。
問題の解決につながるでしょうか。
もし本人が目の前にいても、同じ言葉で話せるでしょうか。
この問いに答えられないときは、一度言葉を止め、御本尊様に向かって唱題してみる。
すると、怒りのまま話すのではなく、少し違った見方や伝え方が見えてくるかもしれません。
🌸互いに仏となる人として
信仰者も、完成された人間ではありません。
弱さも、感情も、失敗もあります。
だからこそ、お互いの至らなさを笑うのではなく、共に成長していこうとする心が必要なのだと思います。
自分が言われて苦しい言葉は、人にも言わない。
悩んでいる人を責める前に、その人の話を聞く。
失敗した人を切り捨てるのではなく、立ち直る道を共に考える。
相手を変えようとする前に、自分の言葉に慈悲があるかを振り返る。
日蓮大聖人様の、
「法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか」
との御言葉を、まず自分自身への戒めとして受け止めたいと思います。
同じ御本尊様に向かい、共に成仏を目指す者同士だからこそ、罵り合うのではなく、励まし合える関係でありたい。
たった一言でも、人を深く傷つけることがあります。
そして、たった一言の思いやりが、苦しんでいる人を救うこともあります。
今日、私たちが語る言葉が、誰かを暗い気持ちにする言葉ではなく、もう一度立ち上がる力を与える言葉になりますように。
御本尊様に唱題しながら、慈悲ある言葉を選べる自分へと成長してまいりたいと思います。
南無妙法蓮華経
今日の問いかけ
誰かについて話そうとするとき、その言葉には、相手をおとしめる心が含まれていないでしょうか。
そして今、身近に苦しんでいる人がいるなら、評価や正論より先に、その人の話を静かに聞くことから始めてみませんか。

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